僕はずっと独り、旅をしていた。

あの日、師とたもとを別って魔法使いとなってから、ずっと旅をしてきた。

定まった一つ所に留まると、師と過ごした日々を思いだして、ぽっかり穴のあいた心がもう奪うものもない筈なのに、

もっと壊れていきそうだったから。

師の事を恋人として愛していたのか?好きだったのか?と問われると、それは否と即答できる。

では嫌いなのか?と問われれば、それも否。

あの人は別れる時”愛していたよ…愛しい子…。”と笑っていた。

それは子へ対する思い?それとも別の気持ち?

僕には分らない。

師に思う僕の気持ちはただ一つで”恩人”という事だけ。

あの日、雪がはらはらと舞い落ちる中、生きる術を持たず自然に淘汰されるのを待つだけだった僕の前に、師は手を差し伸べた。

遠く意識が途絶えていく中で、その差しのべられた手の温もりだけは、まるで肌に烙印を押される様な、強烈な印象を僕に残し、その感覚は今でもずっと忘れる事が出来ない。

そのまま死んでいくんだと思っていた僕は、その手が悪魔の物でも何でもいい、生かしてくれるならどんな物の手だろうと構わないと、思っていた気がする。

僕は生きたかった。

父母が禁忌を犯さなければ、僕が生まれる事も、こんな事になる事もなかっただろう。

それでも、父と母が僕を目一杯愛してくれた事。心が温かく幸せだった記憶は手放す事が出来ない。

僕は、父と母が与えてくれたこの命を、矛盾しているけれど捨てたくなかったんだ。

師の僕への扱いは、酷い物だった。

街へ仕事を取りに行くと表の通りを歩く、他のお弟子達や見習い達は”幸せ”そうで、僕はそれを見るととても眩しくてみじめな気持ちになった。

師の受ける仕事は、合法すれすれの闇深い物が多く、仕事の相手も路地裏に潜むような者達ばかりだった。だから僕は表の通りから路地へ入ると、他の子達の眩しさから逃れられて、少しホッとしていた。

けれど仕事は厳しく、お客が仕事に納得が出来ない出来だと僕に辛く当った。

そして賃金を貰えず帰れば、師からも折檻を受けた。

どれだけ粗雑に扱われ、暴力を振るわれたとしても、僕は師の元を離れればまた露頭に迷うだけの幼子だったから逃れる事も出来ず、ただ耐えるしかなかった。

そんな師ではあったけれど、機嫌の良い時はとても優しかったし、僕は師が笑っている顔をみると幸せだったんだ。

魔術に対しても、自分はまともな事をしていないのに、僕に教える事は基礎を始め応用から、禁忌に触れる物との区別や事柄を丁寧に教えてくれた。何故僕にはちゃんとした事を、教えてくれたのか?僕はずっとそれが疑問だった。けれどそれを問う事は師の機嫌を損ねそうで、怖くて訊けなかった。

そんな日々が何年か続き、正式に”弟子”となれる年齢になった頃、師は待っていたとばかりに”儀式”をすると言った。

師弟の関係になる為には、師の力を付与するために互いの体液を交換しなければならない。

それは脈々と続く魔法使いの掟であり、これを逃れる事は出来ない事は知っていた。

夜半、僕の自室を突然訪れた師はとても酔っていて、戸から流れ込む風にのり酒の匂いが漂って来るほどだった。

「ユルヨ…。弟子にしてやる…。」

短く言うと師は短く呪を唱え、僕の手を見えない縄のようなもので括り纏め上げると、服を捲し上げ舌を這わせ始める。

「し、しょ…。や、やだ…。ぃ、やだ…ゃだぁーーー!!」

動けない身体をよじる様に暴れると、師は僕の顎を掴み自分の方を向かせると

「ふふ…良い…顔だ…。ユルヨ、俺を拒んで、その先どうする…一人でまた露頭に迷いたいか…?まぁそれでも構わないさ。俺はな…。けど…死ぬよ?」

現実を突き付けられはたと思考が冷静になる。

独りでまたあの路地裏で凍えて死ぬのは嫌だった。

ひきつる顔に恐怖が加わり更に歪むと、師は喉をクツクツと鳴らし喜びの笑みを見せた。

「あぁ…いい顏だ…。お前に選択肢は…ない。悪いが受け入れろ。弟子で居る間は…俺が面倒みてやるからな…。」

そう言うと僕の衣服と身ぐるみ剥ぎ、体を貪った。

体液を交換すればいいだけの事、キスを一つすればそれで”儀式”は終わるのに、師は体液の有る部位を避け、執拗に僕が嫌がり反応する箇所を弄り続けた。

師はゆっくりと手を下に伸ばし誰も触らないその場所へと伸ばすとゆっくり指を差し込んでいく。

「ぐっぅ…や、、、め…や、めて…!」

拒絶する言葉もむなしく抵抗出来ぬまま、その指はズルズルと中へ入って行く感覚に肌が総毛立つ。

恥ずかしさと悲しさとみじめさに涙がこぼれた。

嫌な筈なのに、体は嫌がるようでもなくそのまま抜き差しされる内に、感じた事のない感覚に理性がマヒしていった。

「ぁっ…ひ…ぃっ……っ…。」

これが自分の声なのかと言う程、妙な声をあげ空気を吸うのも絶え絶えになった頃、頭は真っ白になり、何も考えられなくなった。

襲い来る刺激と例えようもない初めての快楽というものに、ただ体を反応させるだけになった頃、

「さぁて…じゃぁ…儀式をしようか…。」

そう言って僕の顔を見た師の顔はとても好奇に満ちていて歪んでいた。

その顏は一瞬で理性を取り戻すほど凍てついて見えて、子供の僕には”恐怖”でしかなかった。

「ひっ…。」

「ふふ…。ユルヨ…良い、顔だ…堪らない…さぁ、俺の物に…なれ。あぁそうだ。弟子である印は…良い所に付けてやろう…。」

と言うなり、僕の唇を自分の唇で塞ぐと、緩まった秘部へいきり立つモノを差し入れた。

「ん゛ん゛ん゛ん゛っっっーーーーーーーー!!!」

貫くような痛みと圧に耐えながら、それでも身体の奥底で何かが得体のしれない力が湧くのを感じていた。

「さぁ…どうだ?力が湧く感じは…。これで…お前は俺の物だ…永遠に、な…。」

”永遠”その言葉を聞きながら、弟子という鎖でこの師と繋がれた事に、僕は消化出来ない気持ちに身体を揺さぶられながら泣いた。

師が僕の中で果て部屋を去ると、僕は師に触れられた感触を拭いさりたくて、一刻も早く”汚れ”を落としたくて…風呂へ行こうと起き上ろうとした。

けれど、腹部の思い鈍痛と痛みで立ち上がる事が出来ない。

半分身体を起こした所で、僕の中からツゥ…と液が流れ出てくるのを感じ下腹部を見ると、僕のモノの根本にそれまでなかった模様の様な物が見えた。

痛みをこらえながらもう少し起こして見ると、無限の印を包むような羽の上に冠が乗った、刺青の様な文様が刻まれている。

”良い所につけてやろう…”

師がそう囁いた言葉がよみがえる。

「こんな…所に…。良い所なんて…。」

永遠に師に隷属される者。

これから先きっと僕が死ぬまで続く下僕の印の様で、弟子になったという幸せよりも、堪えがたいみじめさのが先に立っていた。

それでも、ここまで生かしてくれた恩を帰す方法が、あの人が望むものが、隷属する事でしか報いる事が出来ないのであれば、その為に僕をあの日拾ったとするならば、受け入れなければならない事だとも思った。

師が僕を”弟子”として求めているのではないとしても…。あの人は僕を”生かして”くれている。だから、裏切る事は…出来ない。

寝具に流れ出た、師の果てたモノとその印をボゥ…と眺めながら、僕は”僕というもの”に鍵をかける事にした。

父母の思い出も、暖かな気持ちも僕が持っている穢されたくないもの全部、閉じ込める事にした。

きっとそれは永遠に誰も開けてはくれないだろうと思うと悲しかったけれど、壊されて失くしてしまうよりはましだと思ったから。

もし仮に、僕が師から自由になって、その扉を開けてくれる人に出会えたなら、僕は僕の持てる全てをその人にあげよう。そう心に誓った。

「さよなら…僕…。また、逢えたらいいな…。」

そう一つ呟いて、僕は僕であることをそれ以降捨てた。

長い間師は僕を慰み者の様に扱い、下僕同然の扱いをしていた。

そんな中ではあったが、魔法の勉強だけは欠かすことがなく教えられ、適正も僕の血が良かったのか順当に覚え腕を上げていった。

けれど、あの日感じた師から貰う分け与えられた力と感じる事が出来ず、”魔法使い”として独り立ちする事は出来ずにいた。

例え力が湧き発揮する事が出来たとしても、師は僕を手放す事はないのだろうし諦めていたそんなある日。

「ユルヨ、今年も試験の案内来たけど、どーする?」

「…受けられません。僕には力がない。」

「だよな。じゃぁ捨ててとくわー。」

「…はい。」

そう言って試験案内の手紙にポゥと火を付け燃やしながら、師は僕に不意に近づいてきた。

「ユルヨのそういう悲しい顔…そそられるなぁ…。ほら、抱いてやるよ。」

そういうなり腰を引き寄せ慣れた手つきで肌を唇で撫ではじめた。

僕はさして抵抗もせず”何時も通り”されるままにしていると、師は不意にこんな事を言い始めた。

「前から思ってたけど、ユルヨ実は俺と居たいから”力”解放してないだけなんだろ?」

「…え?」

「だっておかしいだろ。普通一度付与された力はお前の主となる力になるはずなのに、それが出来ないとか、本当は出来るのに隠してるとかしか思えないじゃぁないか。」

「そんな事…。」

「現に他の教えた魔法は操れるのに、力が湧かないとか変だろ?」

「それ、は…僕だって…知りたい…。」

「俺がそんなに良いなら、そう言えばいいのに。”死ぬまで”面倒みてやるし。」

カラカラと笑いながら僕の身体に触る師のその言葉に、死ぬ程の嫌悪を覚えた。

僕の…気持ちなんて分らない。ずっと色んな事を諦めてきた。捨ててきた…なのに。

ワザと僕が力を使わないでいると…?本気でこの師は思っているのか。

そう思うと共に、体の奥から湧き上る衝動と力を抑える事が出来なくて、僕は無意識に力を”暴走”させてしまっていた。

ふと我に返り師を見ると、水の縄の様な物に首を絞められ宙吊りになっている姿が見えた。

「師匠!!」

その叫びと共に水の縄は消え、ドサッと鈍い音を立てて師は床に落ちてきた。

「ゲホッ!ゲェッ…っは…はぁ…は、ぁ…。」

「ごめんなさい…。ごめんなさい…。僕…。」

人を殺す寸前だった恐怖と、この後どんな師からの折檻が待ち受けているかに怯え、震えながら師に手を伸ばすと師はパシッと僕の手を払った。

「力…つかえるんじゃねぇか…やっぱり…。」

「違います!」

「なら、今のこれは何だ?俺が、やった…とでも言うのか?」

「それは…。」

ヨロ…と師は立ち上がると、僕の方を見向きもせず、

「気がそがれた…。チッ…つまんねー…。」

そう言って、外へと出て行ってしまった。

残された僕は、殴られ責められるよりも拒絶された事と、自分がした事に呆然とし、身体を振るわせ、その両手を見つめていた。

それからというもの師は僕を見る事もなく、僕も声を掛ける事も躊躇われて、ただ淡々と日々が流れて行った。

そうして1年ほどが過ぎ、僕あてに1通の手紙が届いた。

それは魔法院からの「魔法使い認定試験」の通知だった。

「師匠、あの…。」

「あ?あぁ…年に1回しかねぇしな。お前はもう用無しだし。とっとと試験受けてどっかいけ。」

「…え?」

「あ??何だ。力分けてやってここまで育ててやって、まだ居座るってか?」

「そんな!」

「わかんねぇかな。お前、邪魔何だよ。もう。」

そう言い失笑する師に、僕はどうしたらいいか分からず、立ち尽くすしかなかった。

「まぁ、頑張れや。」

ヒラヒラと手を振り師はその場から去って行った。

試験はかなり難度が高いと聞いていたが、僕は合格を手に入れ、初歩的な魔法使いとしての心得の研修を受けると、師の家に戻った。

「戻りました…。」

「…受かったか。」

「…はい。」

「じゃぁ、出てけ。」

「…。」

「何だ。文句あんのか?”弟子”が居なくなって俺も忙しいんだよ。仕事自分で取りに行かなきゃいけねぇしょ。」

ブツクサ言う師は僕を一度も見なかった。

それがとても悲しくて。

もう、あの時僕が無意識といえ壊した師との絆は戻らないのだと思うと、僕は家を出るしかなかった。

与えられていた部屋にあった荷物は左程多くもなく、何も無くなったその場所はがらんとして物悲しかった。

部屋の戸を閉め師の仕事場へ行き最後の挨拶をしに行った。

「師匠…。僕、行きます…。」

「…。」

もうこれで最後というのに、師は僕を見向きもせず返事もなかった。

師にはもう本当に僕は必要ない、終わりなんだと思い戸口を出たその瞬間、

「愛してたよ…愛しい子…。」

締まる扉越しに師はそう言い、見たその顔は、師と共に過ごしてきた日々の中で一度も見た事のない最上の笑みを見せていた。

「し、しょ!!」

今一度その扉を開けようと取っ手を回すも、それはピクリとも動かず施錠されていた。

きっと、中から師匠が鍵をかけたのだろう。

それは永遠の別れで、決別だった。

僕は、その扉の前で深く頭を垂れると、二度とその扉を振り返る事なく歩き始めた。

師のいないそれからの日々は、とても開かれていて自由な筈なのに、僕はずっと囚われたままだった。

人と係わる事を極端に拒み、定住する事もなく孤独だった。

けれどその生活にも慣れ、独りでいる事すら寂しいと感じる事も無くなったある日。

その日は朝からどんよりと厚く暗い雲に覆われ、雨がずっと降っていた。

何時もと変わらず街道を歩いていると、突然師に記された文様が一瞬とても熱くなりそれが捥がれるような痛みを覚えた。

余りの痛さに行く道の歩みを止めていると、どこからともなく何の変哲もないその辺に居る様な鳩が一羽、真っ直ぐ僕に向かって飛んできた。

手を伸ばすとその指先にその鳩は止まり、”クルック―”とまるで何かを示すかのように一鳴きすると、その姿は一瞬で煙に消え、手の中には小さな小さな小箱が一つと、メモ書きの様な手紙が一枚乗っていた。

そのメモ書きを見ると、所々血がにじんだ跡があり、差出人は師匠だった。

「師匠…。」

胸騒ぎを覚えてそれを読むとこう記されていた。

”ユルヨへ。

どうやら、これまでのツケを払う時が来たようだ。

お前との日々は楽しかったが、お前は辛かっただろう。すまない。

最後にどうしても謝りたくてな。

愛していたよ…愛しい子。

俺とは違う、まっすぐな道を行け。

幸せになれ…。”

まだ続きを書くつもりだったのか、その後は判別のつかない文字が記され、終わっていた。

自分の師との別れがある時、弟子にはそれが分ると聞いていたが、具体的にそれがどんな風に起こるのか、僕は知らなかった。

けれど、このメモ書きとその前に訪れた文様の熱は、師がこの世から消えた事を意味さすのだと気付いた時、僕は膝が崩れ落ち、その場で声を上げて泣いた。

一生恨んでも恨み切れない人。命を救ってくれた人。思う事がグルグルと頭の中を駆け巡ったが、どんな思いを持っていても、もう、その人はこの世には居ないのだと思うと、本当に一人になってしまったのだと思い、”僕”を知っている人は誰もいないと悲しかった。

ひとしきり泣いて泣いて、泣きつくした頃、その手に握る小箱に気づいた。

そっと紐を解き、中を見るとそこには小さな小さな種が一粒入っていた。

と共に色あせた紙に師の文字で『ねむの木。花言葉は”安らぎ”』と書かれた紙が入っていた。

「安らぎ…。」

師がどんな思いでその種を僕に託したのか、それは今になっても分からない。

けれど、勝手な解釈をすればきっとあの師もまた孤独で、人に”与える”と言う事が不器用で、気まぐれに拾った僕を不器用ながらも実は愛してくれたのかもしれない、

そう、思った。

それは親子の様な親愛なのか、恋愛としての愛なのかは分からない。

僕は人としては師を好きにはどうしてもなれないけれど、恩人としては掛け替えのない人だった。

「安らぎを、見つけろと…そう言うのですか。貴方は…。」

そう僕は呟くと、その種を時のはざまの空間に土地を作り植えた。

後々聞いた話によると、師は僕と別れた後、禁忌を犯し法に触れる事を仕事として受け、魔法院から追われる身となっていたそうだ。

そして最後には懲罰隊に淘汰され命を落としたということだった。

何故そんな仕事に手を出したのか…。罪人にまで身を貶めてまでも、離れた僕に”罪人を師荷物魔法使い”そんな辱めを付けたかったのか…。

「馬鹿だね…師匠…。」

僕はその種を大切に育てた。数年が経ち、立派な木になるとまじないをかけ、木にお願いをしてその幹の中へ住む事にした。

現実世界にある海沿いの誰も来ない打ち捨てられた小屋を入り口として外の世界へと繋げ、そこを生涯の地として定住する事にした。

師が託した安らぎが見つかるかどうかは、今はまだ分からない。

それでもいつか、僕があの時かけた鍵を開けてくれる人を待ち望みながら、今日も僕はここで生きていこうと誓った。そうして新しい”僕”を歩き始めた。師の残した木と共に。

fin...