ここは膨大な量の本を抱える魔法院の図書館。
世にあるありとあらゆる本が集まり保管管理している。
一般で言う所の「図書館」というよりは、もう図書博物美術館として独立したものであっても良いのではないかというほどの蔵書と美術品(といってもその殆どが魔道具の類ではあるが)を収蔵している。
建物を入れば装飾の凝ったエントランスが、その歴史を体現しているかのようだ。
厚く思い扉は、閉館以外は開放されたままになっている。
1階部は普通の人でも自由に出入りが出来、魔法使いを始め一般の人々も毎日出入りしている。
そして緩やかに傾斜した階段を上り特別な扉を抜けた先には、この世のありとあらゆる魔法にかかわる蔵書が並ぶ。そこには魔法使いのみが入る事が許され、更にその奥には魔法院の上層部。それも限られた人物しか触れる事の出来ない、禁忌の本を収めている「禁書庫」があるといわれていた。
そしてそんな図書館を管理するのは、魔法院所属の魔法使いが司書として担っている。
俺はその図書館の蔵書の多さに惚れこんでこの街に残ったと言っても過言ではなく、毎日の様に日により居る時間はまちまちだが、通っている。
そうこうするうちに図書司書とは馴染みとなった。

そんなある日、いつもの様に装丁の丁寧な1冊を取り出し、そこにどんな世界が待っているのかとウキウキとしながら着座しようとした時の事だった。
場所柄騒がしい声など普段は聞こえないのに、今日は随分と場がざわめいている。
声のする方に目をやれば、司書達がバタバタと慌てふためき、声を荒げてやり取りをしているのが見えた。
と、その中に例の司書の姿を見つけ、椅子へ座る前にそいつに近寄り声をかけた。

「なんだ、どうした?今日はやけに騒々しいな。」
「あぁナミルか。すまないな。ちょっと…トラブルがあって。」
「トラブル?何か物騒な事か?」
「いやぁ…。」

司書はとても歯切れが悪く表情も硬い。これは本当に何か流血騒ぎでも起こったのかと、自然に眉間に皺が寄る。

「何だよ、誰か死んだのか?」
「いやいやそうじゃない。そうじゃぁないんだが…。大きな声じゃ言えないんだ。」
そういうと彼は俺の耳元に口を寄せ、ひそひそと囁いた。
「本が、逃げたんだ。」

一瞬何の事だか分からずぽかんとしていると、続けて司書はこういった。

「正確に言えば、本が盗まれ返ってきたはいいんだが、中身の文字が逃げた。」
「っはぁああ????」

何だそれは。どういうことだ?と俺の頭の中は混乱した。
「どういうことだ?文字が逃げた??」
「声がデカいよ。もうちょっと小さい声で…。」
「これが黙ってられるかよ!?本の大事だぞ!?」
「あー…もう…。だからお前には言いたくなかったんだよ。」
げんなりとした顔でそういうと、貸出カウンターの上に置いてある一冊の本に手を伸ばした。
「ほら。見てみろ。」
「何だこれ…。『誰でも使える魔法の本』??こんな本あったっけ。」
「見かけないのは当り前さ。普段は奥の禁書に仕舞ってある部類だ。」
「なっ…!禁書だと!?」
「そうだ。中、開いてみろ。」
促されるようにその渡された本のページを無造作に開くと、そこには何も書かれていない白紙のページだけがあった。
「何だ、真っ白じゃないか…これ。」
「あぁ…いっただろ?文字が逃げたって。」

その後司書長が上の魔法院へと話をあげ、とりあえずの通常の業務へと戻るさなか、事の発端を俺は聞いていた。
「本来は禁書庫へしまうような物が、またなんでこんな表に置いてあったんだ。」
「その真相は分からないが、記録に残る使用名目は『修繕』となっていた。」
「へぇ…修繕ねぇ…。」
ペラペラそれをめくりながら本の作りを確認してみるが、どこにも直すような所はなく、それどころか装丁の古さに似合わず古さを感じさせないその紙の質に違和感を覚えた。
「で?修繕するにしたって普通は禁書庫内でするだろう。」
「それがどこの命かは分からないが、上から本部内の治験室で行うって支持が出てたらしい。」
「…なぁんか、きな臭いな。それ。」
「お前そんな事!大っぴらに言うもんじゃないよ。そりゃぁ俺も思うけど…そんな事大っぴらに言って誰かの耳にでも入ったら…。ヤバいだろう…。」
「まぁ…な。それで?どうしてこんな事になったんだ。」
「その日はちょうど運が悪くてさ、新入りの司書が当番してたんだ。ほら、ここ貸し出しの業務も慣れないと手際が悪くなるだろ?それでその業務に追われていて目を離した隙に、ほら…あの子。」
くいっと顎をやった先には小さな子供が椅子に座って泣いていた。
周りにいるのは司書のお偉いさんという所だろうか。
事が事だから仕方ないにしろ、あんな形相で回り取り囲まれてちゃあの子供も泣くしかあるまい。
少し気の毒に思いながらも目はそのままに、
「あの子がどうしたんだ?どこかの弟子か?」
「いいや、それが全く魔力を持たない普通の子供だよ。」
「なぁんでまたそんな子が!?」
驚いて司書を見ると司書は何とも言えない苦笑をしていた。
「『魔法使いになりたかった。』んだとさ。」
「魔法使いって…そんなもん…。」
「そうさ。本を読んだからなれる物じゃない。けど、魔法使いの掟を知らないただの子は、本を読んだら何とかなる。そんな風に夢見たんじゃないかなぁ。」
「…。」

魔法使いに夢を見る。淡いあこがれが招いた悲劇としか言いようがないこの事件に、魔法は怖いものであると夢を打ち砕かれたあの子供の心中は、いかがなものであろうかと思うと心が痛んだ。
勿論やった事には代償が伴う。せめてもそれをこれから良い方へと活かせるよう願わずにいられなかった。

「そうか…で?その本は一体どういう本なんだ。禁書庫預かりになるくらいだ。よっぽどヤバい本なんだろ?」
「そうらしい。俺も禁書の事は担当じゃないからな、詳しい事は分からないが、さっき少し聞いたところによると、その本は『開けば厄災を招くことになる。』と言われているらしい。」
「へぇ…厄災ねぇ。そいつは穏やかじゃないな。『誰でも使える』なんていかにも初心者に向けるような陳腐なタイトルがついてるくせにさ。」
「そこが狙いなのかもしれないよな。「誰でも使える」って書いとけば、魔法を欲してるものからしたら手に取りたくなるだろう?あの子供の様にさ。」
「…そうだな。」

俺の愛する本がそんな風に悪意に満ちた使われ方をしたのかと思うと怒りが沸いた。
この本がどんな理由で用意され何のためにあの子供の心を傷つけたのかと思うと、許せない気持ちでいっぱいになった。
本は学ぶ物で夢を与えるもので、誰しもそれに触れることで幸せを得られるツールだ。俺は本を作る物としてどうしてもその悪意が許せなかった。

「その…厄災ってどんなもんなんだよ。」
「うん。実際見たわけじゃないから上手く説明できないが、その文字が持つ意味に関係してるらしい。例えばそれに強く作用する気持ちを持っている者の所へ行き、その気持ちを増長させて暴走させ止まらなくするというような事らしい。」
「待て待て、何だって??どういうことだよ。」
「そうだなぁ。例えていうなら人の欲望に取り付いて文字の持つ魔力でその欲望を増長させるって事かな。」
「うーん…それだけじゃ何が厄災なんだ?」
「そうだなぁ…。例えば気になるご婦人が居るとする。だがそのご婦人は旦那がいるとするだろ?」
「うん。」
「そしたらそいつにとっちゃその旦那は邪魔者だ。居なくなってくれりゃぁ自分にチャンスが回ってくるかもしれない。」
「そんなもん、チャンスが来るかどうか何か分かんないだろうよ。」
「そりゃぁそうだけど、でも旦那っていう障害がなくなりゃ、ご婦人はフリーな訳さ。」
「まぁ…な?」
「そこで、だ。もしそこに本の文字が取り付いて例えば”憎悪”という単語がくっついたとしたらどうだ?」
「…どうなるんだ?」
「全く…お前は色恋に疎いなぁ。」
「余計なお世話だ。」
「いいか?憎悪が増長されればどうなる?その旦那を手にかける事になりかねないだろ?」
「…なんでだよ。」
「あぁもう…。旦那を憎んで憎んで憎んで、消しちまったらご婦人は俺の物だって思い込んだら、手を出しかねないだろうが。」
「あぁ…成程。そういう事か…。」

司書は呆れたようにため息をつくとふっと笑い
「お前…もうちょっと外出たほうがいいぞ。」といった。
俺はといえばそんな事よりも、その飛び散った文字達が今どこでどんな風な形になっているのかに思いを馳せるばかりだった。

 

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