ユスティーナの過去のお話。能力が覚醒した時のお話です。

 


「ティナ…。」

 

ある日、夜会で歌に覚えのある姉妹が代わる代わる楽しそうに歌っている姿をみて、堪えられずその場を逃げ出した。

ワタクシがその場から去るのをみたヴァリオンは、後を追いかけて来てワタクシを捕まえると名を呼んだ。

みっともなく零れる涙を手の甲で拭きながら、彼の顔を観る。

 

「ごめんなさい…。」

「謝る必要など、ない。」

 

彼はそう言うと、ワタクシを優しく横抱きにし、いつもの塔へと連れて行ってくれた。

塔の上にある、多分元は監視塔として使われていたであろう部屋へ入ると、いつもの変わらない様子にホッと安堵した。

 

「大丈夫か?」

 

彼はそう言いながら自分が座りその上に寒くないよう膝抱きにしてワタクシを座らせ寄りかからせる。外気で冷えた体に、ヴァリオンの体温がとても温かい。

 

「ええ…。もう、平気。」

「そうか。なぁ、ティナは…こんな泣くほど歌う事が好きなのに、何故歌わない?まぁ…能力の事は分ってはいるが…。」

 

実は前々から不思議に思っていた事だと訊ねる彼に、ポツリポツリと昔語りを始めた。

 

―――。

 

遡る事数十年前。

ユスティーナが”歌”を覚えた頃にまで時が戻る。

街の祭りに母セルマと父王が珍しく共だって出かけるのに、幼子だったワタクシも同行する事になった。

 

「とおさま。ふしぎなものがいっぱいね!」

「そうか、ユスティーナは初めて街へ来るんだったな。」

「ええ。あ、ほら!みてみて!あれはなぁに?」

「ふふ、ユスティーナ良かったわね。今日をとても楽しみにしていたもの。」

「うん!」

 

他愛もないそこには王や王妃など関係のない、仲の良い親子の会話があった。

街の真ん中に設えられた舞台では異国から来た道化師たちや、マジシャンなどが各々ショーを披露し、街の人々を楽しませていた。

そんな中、セルマが来ている事を知った馴染みの者が、折角来たのであれば今一度歌ってみないか?とねだった。

王に訊ね了解を得ると、セルマは拍手を浴びながら舞台へと上がったのである。

その澄んだ歌声は、その場に居るもの達にひと時の癒しを与え、皆がその音色に酔いしれていた。

それをみたワタクシは、母をとても誇らしく思い、この母の歌を聴けば、王宮で口さがない事をいう他の王妃達はきっと酷い事を、言わなくなるだろうに。と思っていた。

 

一しきり歌い終わり、惜しまれながらもその場を後にした母と共に広場を後にすると、

帰城する途中で母の馴染みの用品店へと立ち寄った。

母と父が店へ入り買い物をしている間、ワタクシはさっきの母の姿を思い出していた。

 

「ワタクシも、おかあさまの様に、みんなの前でうたいたいなぁ…。」

 

暇を持て余していたワタクシはふと店の前にある小さな噴水に目をやった。

 

「そうだ…あそこでおかあさまの様に歌ってみたら…。」

 

店の方を見てもまだ両親が出てくる気配はなかった。

馬車を降りて、噴水のへりに足をかけ乗ると、その目線の高さにまず驚き、そして何事かと足を止める人達の顔を見て、気持ちが高揚していた。

大きく息を吸い込むと、その母と同じように高らかに覚えたばかりの歌を歌ったのだ。

 

”6ペンスの歌を歌おう ポケットいっぱいのライ麦

パイにつめて焼きあげた 24羽の黒ツグミ

パイを開ければ 鳥が歌い出す

王様に出すごちそうさ

王様は蔵にこもって金勘定

女王は居間ではちみつとパン

メイドはお庭で洗濯物を干す

そこへ黒ツグミがやって来て

鼻をパチンとついばんだ”

 

小さな子が誰しも覚え、口にする単なる童謡であった。

そのはずだった…。

 

歌う事が楽しくて、ワタクシはその場にいた人々の変化には気が付かなかった。

瞑っていた目をあけ、その場を見ると…。

確かに歌う前、ワタクシを見つめていた人々の目の色が変わり、小さなワタクシではどう表現して良いのか分からなかったが、各々の欲の赴くままに、殺伐とした光景が広がっていた。

ある者は人の鞄を奪い取り金を盗む物、ある者は叫ぶ女を無理やり犯そうとし、ある者は大きな叫び声をあげ恨み言を言うと、手に持つナイフで人を切りつけていた。

そしてその異様な人々の中、一人の男がワタクシへと近づいてきた。

 

「お嬢ちゃん…オジサンが可愛がってあげるよ…。おいで…。」

 

ニマニマと焦点の合わないような目をぎらつかせ、ワタクシの腕を尋常ではない力で掴む。

 

「いやっ!はなして…!」

 

恐怖にひきつるワタクシの目の前で、急にその男の姿が真っ赤な鮮血と共に視界から消えた。

ワタクシの手にはその男の手首だけが残っていた。

残されたそれの生暖かさが、今そこに居たあの男の物だと気付くまでに、時間がかかった。

 

「きゃーーーーーーーーーーー!!!!」

「姫!早くこちらへ!!」

 

王に同行していた騎士が頭を押さえ苦悶した顔でワタクシに近寄る。どうやらこの騎士がワタクシを掴んでいた男の腕を切り落としたようだった。

ワタクシを抱きかかえると、馬車の中へと押し込める。

店の中に居た両親も、外での喧騒を聞きつけ飛び出てくる。

 

「何事だ!」

「わ、かりません…。ただ…姫が…その噴水に立ち歌われた後、その場に居た者達が可笑しくなりました…。私も何か…おかしい。王。申し訳ございません。

私はこの場に残り、事態の収拾に努めたく…今はお傍にいない方が良いと思われる…。」

「分かった。それでは後程応援を寄こそう。報告を頼む!」

 

父は同行した騎士を残すと、母と私を馬車に乗せ自ら鞭をうちその場を離れ、城へと向かった。

 

「ユスティーナ…!大事ない…?あぁ…貴女こんなに震えて…。」

知らず小刻みに体が震えていたのか、母が強く抱きしめてくれた。

その温もりに安堵するも、事態を招いたのが自分であったのかと思うと得体の知れない不安にかられ、涙が零れ落ちていた。

「ごめ…さ…。ごめ…なさ…ぃ…。ワタクシ…。ワた…シ…。」

震えは大きくなり抑えられなくなる。

「ユスティーナ…。いいのよ…いいの…。」

「う…ぇ…っふ…ぁあああ…。」

 

何時もよりも揺れの激しい馬車の中で、城に付くまでの間ワタクシはずっと母の胸の中で泣いた。

帰城すると、父はそのまま街での事態を収拾するために、政務へと戻った。

戻り際、その大きな手でワタクシの頭を撫でると、

 

「誰かが悪かった訳じゃない。お前もだ?いいな。誰も予期しえなかった事だ。だから気にするんじゃないよ?」

 

と微笑みながら言ったが、そのワタクシを見つめる目が憐みを含んでいる様に見えて、悲しかった。母と共に部屋へ戻ると、母はずっと側で抱きしめていてくれた。

そしてポツリ、呟いた。

 

「よりによって…。女神の加護が、貴方の声に宿ってしまうとは…。」と。

 

今思えば、その時の母もきっと辛かったのであろう。

娘と共に楽しく歌を歌いあえる日が来ることを、心から望んでないはずはなかったのだから。

それでも、ワタクシの能力が覚醒した事で、王宮での一つは悩みが減るであろうと思っていた。

実際「王の子ではない娘を産んだ王妃」と言われる事は無くなった。

しかし、陰口は無くならず形が変わっただけの事であった。

数多いる王妃達の中で、彼女たちもまた誰よりも王からの愛を欲し、自分たちの地位を保つため(あわよくば一つでも多く寵愛を得る為に)、蹴落とせる隙を見せた者へは容赦なかったのだ。

出自の低さから行けば母は恰好の踏み台であった。

 

母とすれ違いざまに顔を合わせれば、

「あら…姫が覚醒された様で。宜しかったわね、ホントに王の子でしたのね。でも、制御できない能力だなんて…恐ろしい事。」

と粗野された。

 

ワタクシの能力が…もっと使えるものであったなら…。自分で制御できるものであったのなら…。

母への陰口を聞く度に、ワタクシはそう思い心が塞いでいった。

口数が減り顔に表情の乏しくなっていくワタクシを見て、母は母でどうしてやる事も出来ない事に苦しんでいた。

そしてせめてもと、父にねだった事など一度もない母が、生涯で1度の我が儘を父に願った。

 

「王…どうか娘の為に、我が儘をお許し下さい。王宮から離れた所でユスティーナと二人で生活したい…。」と。

 

後に母から聞いた事だが、母はその時城から出て城下で生きるつもりであった。

しかし、父はそれを許さず、思案した上でもう廃屋の様になっている城内の奥深くにある離宮ではだめかと母へ訊ねた。

父もまた数多いる王妃達を平等に愛していた為、特別な事を一人の王妃にする事には限度があったのだ。そうして母とワタクシは2人、今の離宮に住む事を赦されたのだ。

城から離れて他の王妃や姫達と接しなくなった分、ワタクシは少しずつ気持ちが軽くなり元の自分へと戻っていった。

ただ一つ、「自由に歌う事。」以外は。

後に詳しく調べた所、ワタクシの能力は歌声を聴いた者の内面に潜む欲望を増長させる事と判明した。

あの時救ってくれた騎士は、『騎士として王とその家族を守る』という気持ちに強く働いたため、暴挙に出る事はなかったが、護る方法をそこまでする必要はなかったはずなのに、力技にでてしまったと証言したそうだ。

ワタクシの能力は、ワタクシ自身がどうかして制御できるものではなく、ただ制御できるとするならば「歌わない事。」それしかなかったのだ。

軽率に歌い再びあの惨事を起こしてしまう危険を冒してまでは、歌う事など出来なかった。

手首をそっと手で抑えれば、あの時の切り落とされた男の手の生暖かさを感じ、あの街での出来事を思いかえす。

きっとそれは生涯ワタクシの中に残ってくのだろうと子供ながらに思っていた。

 

それでも母の歌を聴く事は止められなかったし、歌いたい気持ちを抑えるのは容易ではなかった。

だから密かに皆が寝静まった頃離れを抜け出しては、それももう使われなくなり誰も普段は近寄らない古塔に上り、

たった一人で母が歌って聞かせてくれた歌を歌っていた。それが唯一自由に自分を解放してやれる安らぎの時間となっていったのである。

 

―――。

 

ひとしきりヴァリオンへと過去を話すと、彼に訊ねた。

 

「ワタクシが…怖くなった…?」

 

すると彼はこう答えた。

 

「いや。ティナの能力は…悪い方ばかりに働く訳じゃないだろ?」

「そうね。その人の持つ内面が表にでてそれに忠実に従ってしまうだけ。内に秘めたモノが悪意のあるモノでなければ、良い方へ働くわ。」

「そうか。なら…何とも思わない。それに仮に俺がもしティナの歌を聴いたとしても、その過去の時の様にはきっとならないだろうし。」

「そんな事…分らないじゃない。」

「いや、分るさ。俺が望むものは、騎士としてティナを護る事だから。悪い様に働き様がないだろ?むしろ有事には歌ってくれ。そうしたらもっとしっかりティナを護れるから。」

そう言うとフッと小さく微笑んだ。

 

思いがけない返事に、一時目を丸くするもその何処から出てくるか分からない、その自信に思わず噴きだしてしまった。

 

「プッ…ヴァリオン。その自信はどこから出てくるの?」

「何か変な事、言ったか?」

「…いいえ。全然…。…ありがとう。」

甘える様にもう一度居心地の良いその温もりに寄りかかると、ぽつりとつぶやいた。

「他の姉妹の様に…歌いたかった…。」

夜天で輝く丸い月の青く淡い光を見つめながらそう言うと、

「歌えばいい…。今なら俺しかいない。」

とヴァリオンは言った。

「どうなっても…責任は持てませんわよ?」

「大丈夫だ。それに、俺もティナの歌、聞いてみたい。」

 

馬鹿ね…と思いながら、それでもこの人なら悪意に満ちた事にはきっとならないと、ワタクシもどこから出てくるか分からない信頼に苦笑しながら、

ただ、この人の為だけに今は歌おうと、唇に音を乗せたのである。

誰もいないその場に静かに音色は響き、一人で歌っていた時とはちがう幸せをかみしめていた。

1曲歌い終わると、少しだけ不安になり彼の顔を覗き込む。

 

「ね、おかしくなってない?」

 

きっとワタクシのその顔はとてもおどおどとしていたに違いない。

ヴァリオンは暫く何も言わずジッと私の顔を見ると、

「良い…歌だった。綺麗な声だな…。」と微笑んだ。

その笑顔にホッとし再び身を預けると不意に彼はこういった。

「山の上に見晴らしのいい場所があるんだ。誰も来ない所が。今度、そこへ行ってみるか…?」

「え…?」

「そこなら、誰にも邪魔されず歌える。」

 

照れくさそうに言う彼の顔に自然と笑みがこぼれる。預けている胸に耳をあてると、心の音が少し早鐘を打っているのが聞こえた。

 

「ええ…ヴァリオンが連れて行って下さるなら…。」

 

彼の不器用さと優しさと温かさに、私の心もじんわり温かくなるのを感じた。

彼が連れて行ってくれるという場所を想像しながら、暫し歌える事の幸せと、彼と共に居られるならば、私も幸せを望めるのではないかと、

そんな淡い期待を抱きながら、今少し…とその胸の中に包まれていた。

fin.