こうやって波止場に誰もいない時間を狙ってくるのは何度目だろう。
そう思い返しながらここで見る最後の朝日を眺めていた。

今日、私はこの国を出る。
名目上は『留学』という事になっているが、多分戻る事はないだろう。
そう決心をした上でこの話に乗る事にしたのだから。

数か月前、調べ物をしたくてハーム博物館を訪れていた時の事。

ギタの学舎で教鞭をとっている先生から声をかけられたのだ。

「ユウナさん。今日もまた調べものですか?」
「あぁ…先生。ハイ。お邪魔しております。」
「貴方は本当に…勉強熱心ですね。小さな時からそうでしたけど。」
そう言ってニコニコと近づいてくると、手にした本に目を落とした。
「ほう・・・『旅行記』ですか…?」
「えぇ…少し、外の世界はどんな所だろうと、フッと思ったものですから。」
「…ユウナさんは、外の世界に興味をお持ちか?」
「…。」

外の世界に興味はもちろんある。だけど、私が今この本を手にしていたのは、別の理由だった。
”この国に…私はいてはいけない。”
そう思ったからだ。
自分の気持ちに気が付いてしまい、それが許されない事だと、知っていた。
だけど、自分の気持ちを押さえつけるには、この国は…狭すぎた。
いずれは誰かに知られてしまうかもしれない、そしてあの人にも…。
それだけは、あってはいけないと、そんな思いにこの所ずっと思い悩んでいたからだ。
答えられずに俯いていると、声がかかった。

「そうですねぇ…。ユウナさんには、この国の知識では…物足りないかもしれないですね。」

深く問う事もなく、先生はそう優しく言ってくれた。

「そうだ、それなら…。」

そう続けると手に持っていた書類の束の中から一枚の紙を取り出し渡された。

「『交換留学生募集』…?」
「えぇ、ついこの間各国宛てに送られてきたのですが、近隣の国々の間で表立った交流も左程ないので、
それぞれの国の実情を知る為にも交換留学生を立てて、知識の風通しを良くできないかという試みのようです。」
「留学…。」
「良い機会なので…ユウナさん、行ってみませんか?」
「でも、国を代表していく訳ですよね?私なんかが…。」

そこまでいうと続きを言う間もなく、先生は大笑いをした。

「はっはっは!私はこんな偶然がなくとも、貴方を上に推挙するつもりでおりましたよ。貴方の『学ぶ』姿勢は、誰にも負けない。 そうじゃ…ありませんか?」
そういうと少し皺の寄った大きな手で頭をなでる。そして続けてこう言った。

「貴方は…もっと自信を持つべきです。胸を張りなさい?この留学が…、きっと貴方にとって良い物となるはずですよ。」

そんなやり取りがあった後、家族に話をした。
長く長く時間はかかったけれど、どうしても引かない私の訴えに、とうとう両親から了承をもらう事が出来た。
それからの日々というもの、出国に必要な書類や旅道具の支度に追われる日々を過ごし、
その間はずっと曇らせていた原因を忘れていることが出来た。
そしていよいよ1週間後には旅立ちの日を迎えるとなった頃、慌ただしい日々から解放されると、また心がずっしりと悩みの原因に覆われていた。
留学する事は直前まで誰にも言わないでほしいとお願いしてあった為、親族・友人達にはまだ知られていない。
その言わずにいる事で自分はズルいとか、卑怯だと感じているようになった。
私がこの国を…と言うよりは、自分から逃げたいと思っているのには訳がある。
私には好きな人がいる。決して思いを遂げられないであろうその相手は、私の叔父にあたる人だ。

自分の気持ちを自覚してしまってから、倫理・常識・感情・心…。色々な物が渦巻いて、兎に角ここから逃げたい。
ただその思いばかりを募らせる日々だった。
そこに来たこの話は、私にとって救いの船だった。

しかし少し忙しさが落ち着くと、今度は二度と戻る事はないのなら、この気持ちをぶつけてもいいのではないか?何も告げず旅立って後悔しないのか?
そんな疑念が頭をもたげて悩ませる。
うるさく騒ぐこの疑念を理性で押さえつけて出発の日を待っていた。
そして残りの日々は、日中を普段を変わらぬ風に過ごし、夕方には普段誰も足を踏み入れない波止場の桟橋に腰かけることが、この所の常になっていた。
誰かに会う事が億劫で、一人で静かに自然の音に耳を傾ける事に心が安らいでいた。

そんな折、変わらず暮れてゆく夕日を眺め居ると、後ろから小さく私の名を呼ぶ声があった。

「…ユナちゃん?」

人が来ないものと思っていたから、不意の事で驚いて振り返った。

「あぁ。貴女なの…。脅かさないでよ…。」

声をかけてきた主は、従姉妹のレイラだった。
天真爛漫という言葉が良く似合う彼女にしては、しおらしく首を傾けて立っている様子が可愛らしく、少し笑みがでた。

「どしたの?こんな所で一人でいるなんてさ~。」

私の隣へと腰かけるとそう問いかけてきた。

「うん…。ちょっと考え事をしたくて…。」
「あ~…ボク…邪魔しちゃった??」
「いえ…いいのよ。考えたって…仕方ないもの…。」

投げやりにそう言うと、レイラは私の袖をギュッとつかんできた。
レイラは奔放の様でありながら、人の気持ちの変化や機微にはとても敏感で繊細な部分も持っている。
普段の様子からでは、ちょっと付き合った程度の人ではレイラがそんな面も持ち合わせている何てことは知りえないだろう。
きっと今も私の顔を見ながら漠然と何かを感じ取っているんだろう。

「それより、レイラはどうしたの?こんな所まで。何か用があったんじゃなくて?」
「あ~~~~うん…。」

芯に触れられない様、誤魔化すように違う話を振った。

「ん~…。ユナちゃんさ、留学…するの?」

誰からか話を聞いたのであろう。とすればそれはきっと叔母様からに違いない。
最後まで内緒にしていきたかっただけに、知られてしまった事に顔が曇る。

「ご…ごめん。聞いちゃいけなかった??」
「あぁ…いえ!いいのよ。別に。そうね、えぇ留学…するわ。」
「…帰ってくるよね?」
「…多分ね。」

”多分”そう言っている自分に違和感を感じながら、レイラを見る目がその先に見える遠くを眺めていた。

「ん~…。よしっ!決めたっ!」

急に立ち上がるレイラにハッと驚いて彼女を見つめる。

「ど…どうしたの?急に立ち上がって。びっくりするじゃないの。…決めたって?何を?」

さっきとはうって変わり、いつものキラキラした目で夕闇が迫る空を見つめると、

「うん!ボクもユナちゃんと一緒に留学するよっ!」

にっかりと大きく口を開けて笑い、宣言するかのようにそう言った。

「えっ!?ちょっ…と、待って!」

思いもかけない言葉に動揺と混乱で上手く言葉を繋げないでいるうちに、彼女は勢いよく走り去ってしまっていた。

「ユナちゃんと一緒に行くからねー!」

去り際にそう叫びながら手を大きく振って去っていく彼女の後姿を、あっけにとられて私はただ見送る事しか出来なかったのである。

そして冒頭に戻り、誰にも邪魔されずこの国と別れる時間が欲しくて、夜も明け遣らぬうちに家を出た。
念のために先に行く旨を書き残してきたから、家族には後からこの波止場で会えるだろう。
もう間もなく年も変わるだろうその季節には、まだ日の昇らない内はとても寒い。
けれど、その寒さも今日限りだと思うと温かく感じるから不思議だ。
単に気が高ぶっているからそう感じるのか、郷愁にとらわれてそう感じるのかは分からない。
もしかしたら、いざ手放そうとしたら惜しくなったのかもしれない。
何にせよ、寒さも温かく感じる程、私の居たこの国は温かい所だった。

海面から太陽が昇る様を見ていると、普段は静かな波止場に大きな汽笛を鳴らしながら船が一艘滑らかに入ってきた。

”大きな船…”

今まで間近に見る事のなかったその船は想像以上に大きく、これに乗って自分は旅立つのだと思ったら、急に不安に駆られた。
接岸を済ませると、中から人が沢山降りてきて、荷物の搬出をしている。
その様子を眺めながら、小さく震える肩を自分で抱きしめる。

”しっかりしなさい。ユウナ。自分で…自分で決めた事でしょう?”

気が付くと波止場にはこれから乗船する人や、商人達が集まってきていた。

「ユウナちゃん…。」

聴きなれた心地の良い声に振り返る。
そこには私の心を焦がす、その人が立っていた。

「留学…するんだってね。」
「叔父様…。えぇ…今日…。」
「そう。…いつ、帰ってくるの?」
「まだ、分かりません。向こうへ行ってから…。」
「そうか…。あ、これ…。帰ってくるんだから、餞別っていうのも変だけど、持って行って。」
「有難う…御座います。」

それ以上話が続かなくて、私が感じているだけであろうけれど重苦しい空気に包まれた。

「それじゃぁ…そろそろいかないと…。」

別に急ぐ理由はなかったけれど、その場から今すぐ離れたかった。
私の口が馬鹿な事を言わない内に。
振り切るようにして叔父に背を向けると、見送りに来ていた両親へ挨拶をし、そして乗船した。

「ユナちゃん、おそいよぅ~。」
「あぁレイラ。ごめんなさい。ギリギリになってしまったわね。」
「もぉ~。来ないのかと思っちゃったよ!ボク1人で行くなんて、嫌だからねっ!」

レイラがこんな風にはしゃいで見せる時は、何か感じている時だ。
きっと私の顔を見て、気を使ってくれたのだろう。
そんな彼女の気遣いが今はとても心地よかった。

「ワタクシこそ、本当にあなたと一緒に行く事になるなんて、思っても見なくてよ。」

そう言ってほほ笑みかけると、レイラは酷いとばかりに顔を膨らませていた。

甲板から波止場を見下ろすと、そこには親しい人たちが手を振っている姿が見えた。
叔父はただ…こちらを見ていた。
手を振る訳でもなく、ただ・・・見ていた。

”どうして…?どうしてそんな顔してるの?”

動き始めた船に、少しずつ見送る人々や、そして彼の姿が小さくなってゆく。
”どうして?”と問うた所で答えをくれる人には、もう手は届かない。
離れれば楽になると思った考えは、間違いだったのだろうか?
それでももう、戻る事は出来ないのだ。

「いってきまぁ~す!!」

隣でレイラが急に叫んで甲板から身を乗り出している。

「レイラ危ないわよっ!」

慌てて背中をつかんで引き下ろす。

「もぉ~…。だぁ~いじょうぶだよぅ~~~。ボクは。」

プゥと膨れるレイラに渋い顔をしていると、

「ユウナ、そんな怖い顔似合わないよぉ~?折角旅が始まったばかり何だから、楽しまなきゃぁ♪」

彼女はのんきにそう言ってのけた。
”もう…レイラったら…。”
これから2人で知らない土地へ向かい、レイラのこの奔放さの面倒を自分がみるのかと思ったら、少し気が遠くなった。
けれど、正直安堵もしていた。自分は自分が思ってるよりも随分と脆いのかもしれない。
まだ旅は始まったばかりだというのに、もうそんな事を気づかされていた。
”レイラ…ありがとう。”
心の中でそう呟いてからレイラの腕を取り、あてがわれた船室へと足を運んだ。
こじんまりとしてはいるが、必要最低限の物は揃い、こぎれいにしてあった。
レイラは荷物をポイッと椅子に投げ置くなり、部屋を出て行こうとした。

「あっ!レイラ待ってっ!まだ片付けが終わってないじゃない!」

制止するも聞く耳を持たないレイラは飛び出して行ってしまった。

「もう…しょうのない子ね…。お財布入ったままじゃないの。全く。」

無下におかれたレイラの荷物を簡易のクローゼットへとしまうと、貴重品だけを持ちだし、彼女を探しに部屋を出た。
彼女はそれはもう楽しそうにあっちへ行きこっちへ行き、見ず知らずの人へ声をかけていた。

「レイラ。よその人にそんな声かけて…万が一変な人だったらどうするのよ。」
「えぇ~?ユウナちゃん、だぁ~いじょうぶだよぅ~。」
「もう…その自信はどこからくるのよ?」
「自信ってそんなの。ボク、人を見る目だけはあるんだ♪それにここ船の上でしょ?変な人いたって逃げられないじゃん♪」
「それはそうだけど…全く…どういう理由よ。それ。」
「さぁて、次は何処行こうかなぁ~♪」

また駆け出して行こうとする彼女の腕をつかんで引き留める。

「レイラ!あんまり船の中ウロウロしたらダメでしょ!」
「えぇ~。何で?ちょっと位いいじゃない。ママが”色んな事見て学べ”っていってたもぉ~ん♪」
「ちょ…っ、待ちなさい!」
「やぁ~だよぉぅ~♪」

そう言って船内へ入っていくレイラを追いかけて付き添う事になった。
一通り船内を廻り、もう一度船上へ行くというレイラと甲板へ上がる階段に差し掛かった時、
強烈な光と轟音に見舞われ、その直後船体の激しい揺れにより、船内に押し戻される形で2人とも階下へと飛ばされた。
遠くでレイラが呼ぶ声がするけれど…。意識を保つことが出来なかった。
次に目が覚めた時にはベットの上に寝かされていた。

「ぅ…ぃたっ…。」

痛みを覚えた個所を見ると足には包帯が巻かれていた。
どうやらあの衝撃で足を傷つけたらしい。

「おや、御嬢さん。起きたかね?」

戸口を見ると髭を一杯蓄えた小柄な老人が立っていた。

「貴方は…?」
「あぁ。わしは医者をしておってな。この船に丁度乗り合わせての。いやぁ~。おかげで大忙しじゃわい。」

そういうと髭をなでながらフォフォフォと笑った。

「あっ!レイラは!?レイラは無事なの!?」

部屋を見回してみても、レイラの姿はなかった。

「んん~?お友達かい?大丈夫じゃよ。身体を随分と激しく打った様じゃが、鍛えておったのかのぉ?丈夫な体のお蔭で大したことは無い。
それよりもまず御嬢さん。君の方の傷を見せてもらおうかね?少し深く切った様じゃが…どれ…。」

巻いてある包帯をスルスルと解き、傷口を見る。

「ふむ。よさそうじゃの。だが用心しなされ。暫くは激しい運動何かはやめておくように。ではの。」

そう言うと新しい包帯を手早く巻き、部屋を出ていこうとしていたが、まだレイラの所在を聞いていない事に気が付き、呼び止めた。

「あの!すみません。レイラは…どこにいるのでしょうか?」
「あぁ!そうじゃったな。お友達は隣の部屋におるよ。まだ寝てるから、そっとしておりておやり?」
「彼女の所までなら行ってもかまいませんか?」
「まぁ…いいが、ゆっくりとな?傷口を開くような無茶はダメですぞ?」
「はい…。それからあの…。一体何があったんでしょう?」
「ん~む…。何があったのかは、わしにも分からんのじゃよ。ただ、突然海が大きく荒れて、船の主軸になるマストが折れてなぁ。
幸いにも死人は出ずに済んだが、船が壊れておっては航行するのは不可能じゃろ?それでたまたま見えた島へ船を寄せたら、たまたま有人の島でな。
船長が口をきいてくれて助けてもらえることになったようじゃよ。」

その他にも船を修繕する間、避難民としてその島へ暫くの間とどめてもらえることになった事、船が難破して現在地がどこなのかも分からない事。
修繕にどれほどの日数がかかるのかも分から無い事等を教えてもらった。

「そうなんですか…。お忙しいのに引き留めてスミマセン。ありがとうございました。」

医者と名乗るその老人は、にこりと笑って今度こそ部屋を出て行った。
”レイラ…!”
身体を打ったと言っていた。大したことは無いと言っていた。でもその姿が見えるまで不安をぬぐう事が出来ない。

老人が部屋の近くを離れただろう頃を見計らって、隣の部屋へと飛び込む。

「レイラっ!!」

そこにはたしかにレイラがいた。
暗い船室の為と思いたい程、青い顔をしてベットに微動だにせず横たわる彼女を見て、恐怖を感じずにはいられなかった。

「レイラっ!レイラっ!レイラっっ!!ねぇ。起きて!レイラってば!」

怪我をしているだろうから本当はやってはいけない事だと分かってはいるけれど、どうしても大丈夫だという確信が欲しかった。
泣きそうになるのを堪えて必死で呼びかける。
何度呼びかけただろうか?

「あ…。ユナちゃん。おはよ…?どしたの?」

のんきな声でレイラは目を覚ました。
そして急に体を起こそうとしてその痛みに驚いていた。

「って…!あれ、そっかボク、ユナちゃんを助けようと思って…。」
「あぁ…良かった!!このまま貴女が目を覚まさないんじゃないかって、ホント心配したんだから!」

全身から力が抜けホッとしてレイラの頭を抱きしめる。

「ユナちゃ…ちょ…痛い…。」
「やだ!ごめんなさい。でも…ホント…良かった。」
「ごめんね。あ!ユナちゃんこそ!何ともないの!?」
「えぇ。大丈夫よ。少し足が痛いけれど、大した怪我はしてないわ。」
「そっか。良かったね~。あ!でも船は!?あの光はなんだったの!?」

あの医者から聞いた事を一通りレイラに話す。

「そっかぁ。それじゃぁ留学は…。どうなるのかな??」
「分からないわ。何にしても、暫くはこの島で過ごすことになるだろうって。何でも正確には何処にいるのかも分からないっていう事だから…。」
「えぇ~!?そんな辺鄙な所にきちゃったの!?ボク達。」
「もう…。何でそんなに目をキラキラしてるのよ。ちゃんと分かってる?この状況。場所が分からなくちゃ家にも帰れないのよ?」
「…えぇ~~~!?それは困っちゃうなぁ。」
「全くもう…。ともかく、降りるわよ?立てる?」
「うん、多分。ユナちゃんはもう外見てきたの?」
「いいえ。まだよ。貴女を置いて何ていけないでしょ?」
「そっか。ごめんね~。」
「もう、いいわ。さぁ、行きましょう。」

甲板に上がると船が受けた損傷の酷さを目の当たりにした。
メインのマストは支柱から折れ船体へと突き刺さっている。
こんな状態になっていたのなら、逆に命が助かった事に感謝せねばなるまい。
そう考えていると、レイラはのんきな声で、

「こわ~い。これ船底までいってたら、船沈んじゃってたね。」

と言った。右も左も分からない中彼女のこの普段と何ら変わらない楽天さに救われていた。
小さく笑いながらため息をつくと、

「貴女怖い事言わないでよ。けど、ホントね。何があったのか分からないけれど、船が持ちこたえてくれて良かったわ。」

とレイラへと「お小言」をこぼした。

船の損傷を眺めながらこれならもう祖国へ戻る事は叶わないかもしれない。
もし帰れたとしてもその頃にはきっとあの人も誰かいい人を見つけて幸せになっているかもしれない。
そうしたらきっと諦めが…つくわね…。
と、そんな事を考えていると不意に背中から声をかけられた。

「すみません、よろしいですかな?」

振り返ると、そこには見慣れた服を着た初老の男性が立っていた。

「え…?」

そんな筈はない…。脳裏に浮かんだ言葉はまずそれだった。
そこに立つ初老の男性が見紛うことなく祖国プルトに居るはずのシャイアルさんの服を着ていたからだ。


「こちらの船に乗られている方でお間違いはありませんな?」
「は…はい。そうです…けど…。」

気持ちが動揺して答える声が震える。

「そうですか。船長殿からお聞きになっておられると思いますが、一時我が国で受け入れをする事になりましたので、
すみませんが手続きをさせていただきたいのです。」
「ね、ね。おじさん、ここってさぁ?プルトだよねぇ??」

”おじさん”というレイラを軽く諌めると、その男性は私の希望を打ち砕くような言葉を放った。

「ほっほっほ。いかにも。ここはプルト共和国という所ですな。しかし、御嬢さん方は我が国を御存じで?」

あぁ…やはりここはプルトだった…愕然とし体が震えだす。
と、レイラがごく至極単純な事をその男性に伝えた。

「知ってるよー?だってボク達プルト共和国から来たんだもん。あれ???じゃぁ、じゃぁなんでシャイアルさんが違う…の??」
「ほぅ…。それは、おかしな事ですな。シャイアルはずっと私が務めさせておりますので、この国の者はすべて記憶しておりますが…。」

どういう事だろう…?
私の国なのに、私の国ではないプルト。シャイアルさんがいるのに、私の知っているシャイアルさんとは違う祖国。

「いえ。確かにワタクシ達はプルト共和国を…それもついさっき出国したばかり何です。
でも、貴方はワタクシの知っているシャイアルさんではない…。これは一体どういうことなの?」

思いついた言葉がふいに出てしまった。

「…成程。この世の中、理では説明しがたい事も御座いましょう。私にも詳細は分かりかねますが、
出来る限り調べてみましょう。解決出来るかはお約束できませんけれどもね。」

と、動じることなくその”シャイアル”さんはそう言った。

「…はい。宜しくお願い致します。」
「何にせよ、こちらで立ちすくしている訳にも参りますまい。ご存じとは思いますが手続きを踏まねば入る事の出来る国故、
面倒でしょうが手続きをお願いしたい。」

と、本当は入国など怖くてしたくなかったが、佇んでいる訳にもいかず、促されるままに今朝ほどに潜った管理棟の門を再び潜る事になった。
突飛な事に直ぐには順応できない私とは別に、レイラが先へ先へと事を進めてくれる。
こんな時の彼女はとても力強く頼りになる。
きっと不安じゃないはずなんてないのに…。
中々動き出せずにいる私に、「どうして?」とか「どうしたの?」とか一切余分な事は訊かず手を取って歩くレイラの、
その手の温かさだけを頼りに、同じ国なのに同じ国じゃない、その土地へと足を踏み入れた。

門をくぐり通りを歩くとそこにはまだ懐かしいというには早すぎる光景があった。

「本当に同じ国なのね…。けれど、私の国とは違う…。」

そう呟くとレイラは、

「そうだねぇ。じゃぁ…探検しちゃおう♪ユウナちゃんならこの不思議、分かるかもしれないでしょ?」

と言いくるくる回りながら前を歩いていく。

「調べてみる事…。そうね、きっと今の私にはそれしかないわ。」
とやっと前向きな気持ちにスイッチが入り、レイラの後を追いかけた。
「ほらっ!ここにいる間は、私が貴女の保護者の代わりだからね!フラフラしないの!危ないわよ!」
レイラの後を追いかけた。
世界の不思議、果たしてそれを解く事が出来るのかは分からないけれど、あの人が居ない同じ国で、生きてみようと誓った。