照りつける日にさらされながら、俺は”何だ…こんなものか…”と思っていた。
祖国へいつか戻る日が来たら、俺は何を思うだろう?と違う土地で過ごしながらずっと考えてきた。
激しい怒りに見舞われるだろうか?やるせなさにただただ悲しみにくれるだろうか?憎しみが滾り暴れるだろうか?と。
けれど答えはどれも違った。
すっかり姿が変わってしまった祖国を見て、ただぼんやりと「無くなったんだな。」という思いしかなく、殊の外冷静だった。

「な…何と言う…。」

”ザリッ…”と膝から崩れ落ち音を響かせながら砂に手をついてソレーマンは呟いた。

「王…王……こんな、あんなにも輝いていた貴方の国が…こんな…。」

ワナワナと震えながら、これまで一度たりとも涙をこぼしたことのないソレーマンが、頬を濡らし泣いている。
それを見て、魔法使いと言えど彼もまた人なのだと、その時初めて俺は感じた。超人でも特別でも何でもない、ただの人であったかと。
ずっとずっと”王子”(俺)を護り、死んでもなお忠臣であろうとしたソレーマンの、”国を王子に継がせる”という思いだけが、
彼を動かす原動力となっていたのかもしれなかった。そしてこの惨状を見て、彼の中の喪失感は如何ばかりな物か…。
今までずっと気づかずにいたが、彼もまた全てを失ったのだという事を今更ながら知る事になろうとは、俺は自分の事しか考えていなかったのだなと、恥じた。
子供の様に泣きじゃくるソレーマンに俺はしゃがみ肩を抱きしめ、背を撫でていた。

「ごめん…ソレーマン。僕、全然気づいてなかったよ。ソレーマンも…全部失くしたんだって事。ごめんね…。」

素直な気持ちでそう伝えると、ソレーマンはハッっと俺を見上げ涙を拭いた。

「も、申し訳御座らん…。老いぼれがみっともない姿をお見せしてしまいましたな。」
「ううん。ソレーマンの気持ちが少し分ったから。立てる…?」

手を貸しすとソレーマンは重そうに体を起き上がらせた。
砂を払い落とし、途方に暮れるソレーマンに、

「きっと何もないけれど…城へ行ってみたいんだ。」

と告げると、無言のままソレーマンは歩き出した。
街の外れにあるソレーマンの家から、街の…いや、元は街であった通りを歩いていく。
数年前、あの革命がおこるまでとても賑やかで人と活気にあふれていたその通りは、街並みも瓦礫と埃で埋もれ人の姿はなかった。
砂漠にあるこの国がこんな状態になっては人々もいきては生けないだろう。
生き残った人々は流浪の民となり散って行ったに違いなかった。

「誰も…いないね。」
「…そうですな。」

誰かこの瓦礫の影から飛び出して来ないかと。誰でも良いからそこに自分達以外の人が残ってはいないかと、わずかな期待をしながら道を進む。
それが叶わぬ期待だと分ってはいても、心のどこかでそう願う自分が居て苦笑した。
王宮は流石に燃えた煤や傷だらけになってはいるものの、城下の様に跡形もなく崩れ去ってはいなかった。
ガランとした門を潜り、拝殿へと向かう。記憶に残る拝殿には王と王妃が座る絢爛な玉座が有る。
玉座は、確かにそこにそのまま有った。
だが、装飾をしてあった貴石は全て外され、金の箔もはげ落ちていた。

「父上…母上…。」

在りし日にそこへ座り微笑んでいた両親の顔が浮かび、俺は気づくと片膝をついて頭を垂れていた。

「只今…。助けて、あげられなくて…ごめん。」

全部さらけ出して言いたい事は一杯あった筈なのに、口からいざ出てきた言葉はとてもありきたりで陳腐に思えた。
情けないな…と思いながら立ち上がると、そのもう誰誰も座る事のない椅子を撫でる。
この椅子に座っていた父の重責とはどんなものであっただろう。そう思うとその椅子を撫でるのが精一杯で、座ってみる気は起きなかった。
その後はもう二度とその玉座を振り返る事なく先へと進んだ。人気のない城内をゆっくりと見て回りあのテラスへ向かった。
そこにはあの日父の首が掲げられていたように、大叔父と叔父一族の首が据えられていた。
暴動から数日が経ち、強い日にさらされたその首は無残な姿になっている。
その首をジッと見つめ、そして自分でも驚いたが、俺はその首をさしてある棒から外し、床に降ろしてやった。
近くに垂れ下がる燃え残っていた王家の紋章が入る旗を壁から引きちぎると、その旗の上に置いていく。

「王子…逆賊ですぞ!?」
「うん…でも、良いんだ。」

驚くソレーマンを制しながら、俺は首を旗にすべて纏めていく。
そして大叔父の首を入れる時、

「大叔父上…。僕を信じられなかったのなら…僕だけを狙えば良かったのに…。馬鹿だね…。」

と小さく呟いて変わり果てた姿のそれを中に入れて、全てを纏めると包んだ。

「それを、どうされるので?まさか弔ってやるつもりでは…。」
「うん。立派な墓標とかは…建てられないけど、こんな晒し者よりは、良いでしょ?ちゃんと…埋葬してやりたいんだ。」
「そんな!父君や母君はその後どうなったかも分らぬのに、この者達など捨て置けば宜しいであろう。国まで…こんな風にして…!」

ソレーマンが怒るのももっともだと思った。
いや、それが多分普通だろう。それでも、俺は晒されていた首を見ていたら、そのままにしておくことが出来なかった。

「良いんだ…。ソレーマンが怒るのは当然だけど。でも…僕にとって彼らも…家族なんだ。」

俺に起こった事は決して許されるべき事ではない。けれど、彼らがまだ俺の家族であった頃の幸せを感じていた記憶も沢山ある。

「…。」
「それにね。死者をそのまま晒しておくなんて事。彼らと同じに、僕はなりたくないんだ…。」

憤る気持ちを持つ反面、それもまた彼らに憐みを感じてるのも俺の正直な気持ちだった。
”死者は弔われて然り”
両親を弔う事が出来なかった俺の心の奥底にそれはずっと横たわっていて、殺されたという事実も悲しかったけれど、
死への旅路をちゃんと送り出してあげる事が出来なかった悲しさのが勝っていたからだ。

「だから、良いんだ…。」
「そうですか…。ナミル殿は…お優しすぎる。いや…儂が非情なのやもしれませぬな…。」

ソレーマンはそういうと、それ以上叱責する事はやめ、口を噤んだ。

そして、両親の部屋へと向かう。
両親の部屋は大叔父が王座へ着いた後作り変えられたのか、一つも面影を残すものはなかった。
丸焦げになり煤となってはいたが壁の装飾一つとっても、思い出の中にあるその部屋とは別の物だった。
フゥ…と大きくため息をついてから自分の部屋へと向かう。
奥まった場所にあるその部屋は扉と天上こそは酷く焦げてはいたが、中は左程酷い状態ではなかった。
置かれている丁度品などはあの日のままで厚い埃が被っている。
それはずっと誰にもこの部屋が使われる事なく、放置されていた事を物語っていた。

「…何だか、ここだけ時が止まってたみたいだね。」
「あの後…どなたもお使いになられなかったようですな。」
「あ、でも…。」

壁に手を這わせ、あの日逃げた脱出用の扉は硬い粘土で埋め固められ無くなっていた。

「ここだけは、違うね。使うつもりも…なかったのかな?この部屋。」
「さぁ…。サウィ殿も、何か思う事がおありだったのかもしれませんな…。ナミル殿や王に対して。」
「はは…ひとかけらの良心が残ってたのかな。なら…いいけど。」

苦笑しながら、俺は思っている事をここでソレーマンに告げる事を決めた。

「ソレーマン。僕さ…。”王”にならなくていいや。」
「え…。」

不意な事で驚きと動揺を隠せずにいるソレーマンに対して、口を挟ませないよう畳みかけて言葉を紡ぐ。

「僕…いや、俺さ。王にはならない。ソレーマンが父上を思って、俺をこの国の王にしようと頑張ってくれてた事も知ってる。」
「…。」
「けど、俺、国とか王とかもう考えたくないんだ。この国の現状を見ただろ?もうここは”国”じゃないんだ。」
「それは!王子が戴冠されれば…!」
「いや、違うよ!俺が1人起った所で、何とかなると思う?それに、この国は俺が原因で無くなったんだ。俺が潰したのと同じだよ。そんな俺に誰が付く?」
「…。」
「俺ね、ずっと考えてた。あの時からずっとソレーマンしか俺には居なくて、今よりもずっと小さかったし、とても心強くて甘えてて…。最初は辛かった。けれど、年が過ぎるにつれ、それはだんだん薄れて王家では味わう事が出来ない日々を過ごして生きるっていう事を知って、楽しかったんだ。」
「王子を護る事は当たり前の事ではありませんか!」
「ううん。違うよ。俺はずっと王にはもうなりたくないってホントは思ってたんだ。でも、大好きなソレーマンが願う事なら、そうしなきゃいけないって思って、言えなかったんだ。」
「そんな…。」
「俺ね、この国は実はこうなるべくしてこうなったんじゃないかって、そう思うんだ。両親の事を思うと自分は何て非情何だって思うけど、でも…そう思う。勝手だけどね。」
「なるべくして…?」
「うん。この国は消える運命だった。今この国だった物の残骸を見て、本当にそう思うんだ…。」

ゆっくり窓へ近づき下に広がる砂と残骸しか見当たらない景色を見ると風が頬を撫でる。

「ね、ソレーマンは…本当に俺を王にして国を再建したい?」
「え…?」
「俺は…ソレーマンが今のこの国を見てそれでも本当に俺に王として起って、再興して欲しいと願うなら、そうするよ。」
「そんな事!私が決められなど…。」
「良いんだ。俺はソレーマンが居なかったら生きている事が出来なかった。母の最期の願いは”生きて”だったと思う。だから、母の願いをかなえさせてくれたソレーマンに、恩を返せるとしたら、ソレーマンが本当に望む事を叶えることしか、俺には出来ないから。何にももってないしね。」
「恩…。」
「うん。だからソレーマンが決めて。ソレーマンのホントの気持ちが俺は聞きたいんだ。」

ジッと俺を見つめた後フゥ…と深くため息をつくと、ソレーマンの瞳からツゥ…と涙が一筋零れた。

「私は…ナミル殿の何を見ておったのだろう…。こんな…大きく…心も大きくお育ちになっておられたのに…。私は何も見ておら何だ…バカな私をお許し下され…。」

やっと重い荷を荷を下ろすことが出来たという様に、ガックリと肩を落としていうソレーマンの姿は何時もに比べて一回り小さく見えた。

「分っておりましたとも…。ここが亡国となったとの知らせを受けた時、もう王子が還る場所は亡くなってしまった事を。」
「ソレーマン…。」
「だが私にはナミル殿を王の座へつける事でしか、王に報いる事はもう手立てがなかったんじゃ。」
「ごめん…。」
「何の。お気に召されるな。私は父王様が好きじゃった。あの方は本当に善き王であられた。私はあの方の為なら身を挺してでもお守りする。その覚悟を持っていると思っていたんじゃ。だが、革命がおこり王はあっけなくこの世を去られてしまわれた。王妃様も同じくじゃ。」
「うん…。」
「お守り出来たのはお二人の大事なお子である貴方様だけじゃった。だから、カウィ殿下が許せなかった。
貴方をどうやっても元の有るべき道へ戻さねばと、それだけが私のこの数年の生きる意味だった。けれど、王子は違っていらしたんですな…。」

フゥと再び大きくため息をつくとジッと俺の顔をソレーマンは見つめた。

「立派に…おなりになった。ここへきて王子があの晒し首を…旗へお包みになられたのを見て、私はようやく気づく事が出来ました。」
「え…何を?」
「ほほほ…。私が本当にしなければならなかった事は、王子を立派な人物にする事であったという事ですよ。」
「俺、立派な人物とかじゃ…」

ソレーマンはフルフルと首を振りこう述べた。

「ナミル殿は十分立派でございますよ。父上に…とても良く似てこられた。私はもっと早くにそれに気づくべきであった…。」

父に似ていると言われて、俺は似ていると言われた事よりも、父を覚えていてくれる身近な人が居る事が素直に嬉しかった。

「ソレーマンが、一緒に居てくれたから。俺今まで一度も言ってなかったよね?」
「何をですかな?」
「俺を護ってくれて、有難う…。」

そう言うとソレーマンは嬉しそうに笑って、それから真顔になって俺に訊ねた。

「ナミル殿…いや、王子。この国を、どうされたいかな?」

そう問われて、俺の答えは一つしかなかった。

「俺は、この国を終わらせたい。力を、貸してくれる…?」
「王子の…いや、王の仰せのままに。」
「有難う…。」

ソレーマンに感謝をしつつ、国を再興しない選択をした俺は、両親やその先祖に心の中で詫びた。

その後、俺達は首を包んだ旗を持ち、王家親族が眠る墓地へと向かった。
名を記す墓石等は作る事は出来なかったが、先祖が眠る地へ穴を掘り埋めた。
両親の遺体がどうなったか、結局知る事は出来なかったが、代わりに俺は自分の髪を一束あの父から託された宝剣で切ると、
祖父の眠る地の横に埋めた。

「俺の代でこの国は終わる。俺は命が続く限り生きていくよ…父上、母上…。」

簡単な弔いを済ませると国の外れまで歩いた。ただ黙々と一言もしゃべる事はなく。砂地を踏む音だけが大きく響いていた。
広大な砂漠の中にある俺の祖国は、国の際へ来たところで左程姿が変わる訳ではない。
祖先が苦労をして緑を増やし、人が住めるようにしたその土地から外は何もなく、ただ砂地が広がっているだけだ。

「さて…。やりましょうかな…。」
「うん。お願い。」

”Palaa alkuperäisen ulkoasun muunnettu ihmiset nukkua perusteella tätä valtaa…”
(この地の根底に眠る力よ、人に変えられしその姿をあるべき元の姿へ還れ…)

ソレーマンが呪文を唱えると、杖とその体が白光に包まれる。
腕を伸ばすとその光は国を大きく包み込む。
そして”ゴォ……”と音をたてながら、街は徐々に砂へと帰していった。
白光が消えると共に、そこは何もないただの砂地となり、国は無となった。

「ナミル殿、墓地だけは…そのままにさせて貰いました。無に帰すには…。」
「うん。分ってる。いずれそれも砂に埋もれて、消えるだろうし…。」
「はい。そうなるには左程時間はかかりますまい…何せこの砂故に。」
「そうだ。ソレーマン何か…入れ物って持ってない?そうだな…袋とか瓶とか…。」
「そうですな…ちょっとお待ちくだされ。」

ゴソゴソと懐に手を入れると、コルクのついた手のひらに乗る程度の小さな瓶を取り出した。」

「これでよろしいですかな?」
「うん。十分だよ。有難う。」

受けとり蓋を開けると、足元から果てしなく広がる砂漠の砂をすくい入れ封をする。

「これでよし。…何かあっけなかったな…。」
「左様ですな…して、これからどうなさいますか?」
「そうだね…ホントどうしようか…。」
「ここにても…始まりますまい。一先ず私の家へ戻りましょう。」
「俺、一緒にいってもいいの?もう…”王子”じゃないのに…。」
「ほほほ。そうは言っても行くところも御座らんでしょう?」
「うん…。」
「さ、手を…。」

差し出された手には長い年月を刻む様に皺が寄っている。きっとこの手に俺は随分と手をかけさせたに違いない。
その手を俺はギュッと握りしめた。

「扉が無いのでな。少々…負荷がかかりますぞ。」

と言うなりソレーマンは術を唱え、俺は故郷を後にした。

”さようなら…俺の故郷…”

視界から消えるその砂の大地に、もう二度と誰も訪れる人もない名もなき国に、永遠の別れを告げた。

 

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