神官の爺さんの所で勉強を教えてもらう様になってから数年がたった。

その頃には俺は成人し長年世話になった城を離れ、一人で暮らしていた。

相変わらず、人と接するのは苦手で、避ける様に生きていた。

神殿には成人しても学びに毎日通っていた。爺さんの話はとても面白く、とても良く分かった。

俺は貪欲に学び、そしてこの国の神についても良く学ぶ様になっていた。

神などいないと思っていた俺が神の事について興味を持つようになるなんて、思っても見なかったが、知れば知るほど奥が深くその真理を知るにはまだまだ未熟だった。

そんなある日の事。街に一報が入った。

神官の爺さんが倒れたと。

俺は爺さんの元へ走った。

ずっとこのまま教えを乞うていられるはず等なかったのに、この所の衰えは気が付いていたはずなのに。

ずっと彼の元で学んでいたいと見て見ぬふりをしていた。

 

”どうか…間に合ってくれ…。”

 

荒々しく居室の戸をあけると、何時になく小さく見える爺さんがベットに横たわっていた。

 

「あぁ…エドガー。来たのか。すまんの…。起き上がれそうにないから…近くへ。」

 

そう言われて、近くにあった椅子を寄せ、爺さんに一番近い所へ座る。

 

「すまんの。心配かけて。」

「そんな、心配なんて…してません。貴方はきっとすぐに良くなるから…。大丈夫。」

 

爺さんの顔をちゃんと見たいのに、目に涙があふれて滲んでしまう。

 

「ほれ、そんな顔をするんじゃないよ。私のここでの役目が、終わっただけなんだから。」

「だけど、俺には…。まだ、貴方が必要です…。」

 

絞り出すようにそう言うと、爺さんは俺の手を取り穏やかに微笑むと、

 

「大丈夫。お前さんはもう、ちゃぁんと一人で歩いていけるよ?それに見えなくったって、ワシはお前さんの傍にちゃんといるからね。」

「だめです。俺はまだ…。」

 

握られた手に自分の手を重ねギュッと握る。

この手を。この優しい手を離したくなかった。

 

「ほほほ、やはりお前さんは優しい子じゃの。こんな爺の為に泣いてくれるとは。…楽しかったよ。ワシは子供がおらんから、お前さんが来てくれるようになってからの毎日は、孫が出来た様じゃった。」

「…。」

 

ポロポロと涙が零れて言葉に詰まる。一杯言いたいことが沢山あるのに。

命の火が消えようとしても尚、この老人は俺に言葉をくれる。

 

「あの日…きっと神様が、お前さんをこの寂しい老人の元へ、遣わせてくれたのかもしれんな。」

今はもう懐かしいあの子供の頃へ思いをやっている様だった。そして俺に向き直ると

「これからは…自分に正直に。生きなさい。きっと、幸せがそこにあるからの。」

 

爺さんの手を握ったままベットの端に顔を押し付けて泣く俺の頭を撫でると、

 

「少し、疲れたよ。眠らせておくれ?」

 

と瞳を閉じようとした。

 

「先生…今まで一杯、教えてくれて…有難う、御座いました!」

 

目を細め優しく微笑んで俺を見ると、目を閉じた。

そして、その夜遅く。爺さんは旅立っていった。

翌朝そのまま神殿で葬儀が行われた。

国に殉じた彼に王や王子たちも参列していた。

誰しもがあの穏やかな老人の死を悼み、悲しみに暮れていた。

彼はこんなにも愛されていたのか。きっとそれは彼が分け隔てなく皆に愛を施していたからだろう。

俺には到底マネの出来ない生き方だと思った。けれど、あこがれもする。

式典が終わり、参列者がそれぞれ散っていく中、久しぶりに王に声をかけられた。

 

「エドガー。少し、いいか?」

 

伴われて向かった先は、家主のいなくなった爺さんの部屋だった。

椅子に腰かけ俺にも座るよう促した。

俺が着席すると王は手を前で汲み、唐突にこう言った。

 

「エドガー。お前ここの神官になれ。」

「え?」

 

俺が驚きを隠せないでいると、王は立ち上がり爺さんの荷物がまだそのままとなっているクローゼットの中から、1つ箱を取り出し前に置く。

 

「生前にな…。あの神官に頼まれごとをしていたんだ。」

 

――― 数か月前。城にて。

 

「アルバ殿下。少し宜しいですかな?」

「あぁ、神官殿か。息災で何より。今日はこんな所までどうされた?」

「ほほほ、大分足腰が弱って参りましてな、もうこちらにも度々は、これますまい。今日は折り入ってお願いごとが御座いましてな。」

「願い事…とな?」

「えぇ。殿下もご存じの…あのエドガーの事です。」

「おぉ。彼の事はホントに長年世話をかけてすまないな。」

「いやいや…。ワシも孫が出来たようで、幸せで御座いますよ。おかげで毎日が楽しくて仕方ない。」

「それで?エドガーがどうした。」

「はい。エドガーのこの先の身の振り方について、お願いがございます。」

「ほう…?どうしてまたそんな事を。」

「…殿下。こんな事をいうのは憚られる事では御座いますが…。もう、私には先がない。多分もって後半年。短ければ数週間の命でしょう。」

「何を申して居る。このようにぴんぴんしておるではないか。」

「ほほほ、自分の体の事は。自分が一番承知しておりますよ…。それでエドガーの事です。」

「…。」

「もし、この先私に大事があった時、あのエドガーをどうか、ワシの後任として神官へしてやってはもらえまいか?」

「それは…私が決める事ではなかろう。」

「確かに。しかし、ワシが居なくなったと、彼の背中を押せるのは、王。貴女しかいないとは思われぬか?」

「いや、しかしだな。あの子もやっと街で生活するようになって、徐々に馴染もうとしているのに貴方がその機会を奪うのか?」

「殿下。あの子が街に馴染んでいるとお思いか?」

「…。」

「未だ、他人を寄せ付けず影の様に生きている。ワシの所へ逃げ込むようにやってくる。それを馴染んでいると?」

「…馴染んで…おるはずがないな…。分かっておるさ。」

「神官なら、仕事に追われ余分な事を考えておる時間もないじゃろうし、人と係わる事も間接的にはあっても、深入りする事もない。顔も帽子で隠れるし傷を見られるような装束でもないからの。エドガーには丁度良いと思うんじゃ。」

「だが…。」

「まだあの子には人の世で生きるのには時間が必要じゃよ。仕事の上で人と係わり馴染んで行く。それが近道な気がしてな。それに普段殿下と接する事も多ければ、安堵もしよう。」

「全く…神官殿は。エドガーが可愛くて仕方がない様だ。親代わりをしてきたつもりの私よりも良く彼を知っている。…すまぬな。至らずに。」

「めっそうも御座らんよ。ワシでは爺の役目は出来ても母の役目は出来ぬでの?ほほほ。」

「分かった。神官殿の願い。私が引き受けよう。」

 

―――現在。

 

「爺さん…。」

「箱、開けてみなさい。」

 

手渡された箱は随分と年季が入っている様に見える。

王から渡された箱を手に取り、そっとふたを開ける。

少し埃くさいにおいが一瞬した。が、そこには綺麗に誂えられた新品の神官服と帽子が入っていた。

 

「もう、随分前に誂えた様でな。お前が成人した時にどうやら作った様だ。」

「そんな前に…。」

 

と服の上に真新しい、これだけは時代が経っていないように見える手紙が添えられていた。

手に取り封を開く。

 

”今直ぐじゃなくてもいい。自分に優しく、他人に優しく、己が思うまま生きなさい。そしていつか自分の身の内を見せられる誰かと出会う事を、心から祈っているよ。”

 

弱弱しく書かれたそれは紛れもなく爺さんの字だった。

きっと旅立つ間際に書いたんだろう。

ハラハラと落ちる涙を止められなかった。

アルバ王は俺の肩にそっと手を置いた。

 

「”生きよ”。それが彼の望みだ。そして私の願いだ。どうするかは、自分で決めなさい。返事は何時でもいい。」

 

そして俺の頭に軽く口づけると部屋を出て行った。

俺はどうしたい?どうすればいい?爺さんも居なくなった。何時までも小さな子供のままではいられない。

一しきり爺さんを思い泣きはらすと、机の上の服を見つめ考えていた。

 

「自分に正直に…か。」

 

窓から空を覗くとそこには澄んだ青い空が広がっている。

雲はゆったり流れ、来ては消えてゆく。

 

「自分に優しく、他人に優しく…。って、爺さんとんでもない宿題残してったよな。…俺にもいつか、爺さんの様なヤツになれる時が、来る…のかな。」

 

フゥ…とため息をつき、クッっと顔をあげるとその箱を手に城へと向かった。

 

―――王の居室

 

「アルバ王。俺、やってみるよ。爺さんが残してくれたもん、無駄に出来ないから。」

「…そうか。うむ。やってみればいい。辛い時は、私が話を聞こう。だからお前も私に約束しておくれ。」

「え…?」

「これからどんな事があるか分からない。だが、”生きよ”。天に召されるその日まで。分かったな?」

「…それは、分かんないけど、王がくれた生きるチャンスを、無駄にしない様、頑張ってみる。」

「そうか…。なら、そなたに命じ様。本来なら神官殿から命を受けるのが筋であるが、彼の遺言により変わって私が申しつける。エドガー・ユーンよ。これ以降そなたを神官職へと任ずる。その任の誇りに賭け励めよ。」

「拝命痛み入ります。俺頑張って爺さんんみたいになるよ。だから、見てて下さい。」

「こら、神官は『俺』などとは言わぬ。『私』だ。『私』って言っておけば格下に見られる事はないだろう?ん…?ダメか?ははは。」

 

朗らかに笑うと俺の肩に手を置き

 

「頑張れ…。」

 

と、目にうっすらと涙を溜め囁いた。

こうして俺は神官になる事になった。

沢山の人の思いと、自分らしく生きる為に、神官になってから数年経った今も道を探している。

相変わらず人を自分の内に潜り込ませることは苦手だし、拒絶している。

けど、爺さんが与えてくれたこの服と言葉と共に、今も救われ前へ進んでいる。

こうなる事を見透かされていた様で心地悪いが、お蔭で随分と楽に生きられるようになったと思う。

自分で初めて決めた事。

 

”ゆっくり生きなさい…。焦らなくていいからね。”

 

今も時折爺さんの俺の背中をそっと押すそんな声が聞こえる気がする。

いつか爺さんの様になれる日を夢見て。

 

fin...